のりっぺの、ぼっち女子会。

一人で女子会、始めました。

再読のススメ 〜『星の王子さま』を読んで〜

一冊の本を、時間を置いて再読することは、自分の変化を知ることである

 どんな時に自分が「大人になった」と感じるだろうか。お酒が飲めるようになった時?幼少期を懐かしむようになった時?まだまだヒヨっ子の私がヒヨっ子なりに「私も大人になったなあ」と感じるのは、昔読んだ本を読み直して、過去の私とは異なる感想を持った時だ。高校生の時、国語の先生が授業中にふと、ちょっと真剣な、でも優しい声で、「一冊の本を定期的に読み直すといい。そうすると、自分が変わったことを自覚できるから。」と仰っていたことを思い出す。本は変わらないのに読んで感じることは変わる。成程これは確固たる「自分が変わった」証拠である。

 

 およそ10年ぶりにサン=テグジュペリの名作星の王子さま内藤濯:訳)を読んだ。母に言われて思い出したのだが、私は中学校の夏休みの宿題でこの本の読書感想文を書いたのだ。が、何を書いたのか全く覚えていない。それどころか、今回読み返すまで本の内容もほとんど覚えていなかった。中学生の私に響くものはなかったのだろう。可愛くない子どもだった私が「こういうこと書いとけばオトナは喜ぶんでしょ。はいはい。」とテキトーに宿題を終わらせたのは想像に難くない。駄作を思い出すたびに恥ずかしくなる、という苦しみを味わわずに済んで幸いである。

 

大人向けの童話、「星の王子さま

わたしもかつては、箱の絵を見て、箱の中にいる羊を認識できる子どもだったはずだ。・・・この一文を書いてしまうあたり、私は悲しいことにもうすっかり「大人」なのである。子どもにとって、その箱の絵は羊の絵なのだ。いちいち説明しなくても、豊かな想像力と感性で本質をシンプルに見抜くことができる。王子さまは、かつて子どもだった私が大人に対して抱いていた「どうしてそんなこともわからないの?」という疑問を、大人になってしまった私に突き付けるのだ。私が社会で上手く生きていくために(おそらく最初は仕方なく、そしていつの間にか自然に)捨ててきたものを、「ほうら、ここに落としているよ」といちいち丁寧に拾って見せてくれる。そんな王子さまの言葉はあまりに純粋で、故に残酷だ。

 

王子さまとバラ

子どもだった私は、王子さまの星に咲いたバラのことを、なんて我儘な花だろう!と嫌っていた。しかし、いじらしい乙女心を持ったこのバラのことが今の私は好きだ。

 我が儘なバラと、彼女に困りながらも全ての要求を満たしてあげる王子さま。しかし彼女に振り回されて疲れきってしまった王子さまは、とうとうバラから離れて行ってしまう。そのことについて、王子さまは後にこう言っている。 

  

「ぼくは、あの時、なんにもわからなかったんだよ。(中略)ぼくは、あの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。明るい光の中にいた。だから、ぼくは、どんなことになっても、花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。ずるそうなふるまいはしているけど、根は、やさしいんだということをくみとらなけりゃいけなかったんだ。花のすることったら、ほんとにとんちんかんなんだから。だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、あの花を愛するってことが、わからなかったんだ。」

 

愛情を確かめたくて、相手をわざと困らせる。我儘を聞いてくれる度に、自分は愛されているのだと実感する。この面倒くささが、バラという一人の女の子の、可愛らしさの理由な気がする。でも、これを理解できるようになるには、それなりの経験値が必要なのだろう。若い恋の、一筋縄ではいかない難しさというのは、多くの大人が感情移入できるものではないだろうか。    

 

歳を重ねるということ

 『星の王子さま』を再読して自分の変化を感じたことで、(前述との誤解を恐れずに言うならば)私は歳を重ねることに対して前向きな気持ちを持つことができた。確かに子どもの頃のように直感で理解する力は衰えたかもしれない。だが、そうであった事実を忘れない限り、子どもの頃の自分は己の中で生き続けるのではなかろうか。「大人になったからこそわかること」が増えていくのを楽しむ一つの手段として、これからも時々昔読んだ本を読み返したい。きっと今の私にはまだ、わかっていないことがたくさんあるのだ。